(その1より続く) 先日、「明治日本の産業革命遺産」(九州・山口ほか)の諸施設を世界文化遺産に登録するよう、ユネスコの諮問機関(イコモス)から世界遺産委員会に勧告がなされました。7月の審査で最終決定の予定です(右画像クリックで拡大←東京新聞WEB より)
他の施設の多くは「産業革命」を体現しているので見た目に判りやすい。一方、萩の城下町や松下村塾は「産業革命」を生み出した母胎/思想の原点であり、歴史を踏まえないとその価値を理解しづらい(特に、松下村塾)。よくぞ認めたものです。少々乱暴に書けば、西洋から見てニッポンは今でも「東洋の神秘の国」なのでしょう。明治維新後、数十年でゼロ戦や戦艦大和、伊400(潜水艦)を造っちゃうわけですから。
マクラが少々長くなりました…。先日、萩のプチ観光をした際、堀内と呼ばれるエリアを散策しました。そこにあったのが、旧明倫館跡。恥ずかしながら、江戸時代に日本三大学府の一つと称された明倫館は創建時より現在の場所(江向)にあると思い込んでいました。驚いたのが、移転後の規模。当初の敷地940坪が、移転後は、敷地15,184坪・建物総坪数11,328坪・練兵場3,020坪になっています(Wikipedia>明倫館 より)
大英断ですね。数多の偉人を輩出した松下村塾も、すぐそばに明倫館があったればこそ、という気がします。明治維新や産業革命の原動力はこうした教育/人材育成に価値を置く藩政(というか国民性?)のもとに生まれたわけです。日本という国は、やっぱり、スゴイのかも…^^(その3へ続く) by dan