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師走選挙/1983年12月の新聞が出てきました


知り合いが部屋を整理していたら、1983年12月19日の新聞が出て来たそうです。今度の総選挙は、29年ぶりの師走選挙と言われていますが、まさにその時の選挙結果を報道した、投票日(12/18)翌日の新聞。すごいタイミングで出て来たものです(^^)。捨てるというので、もらって来ました(右写真、クリックで拡大)

29年前は中曽根内閣(自民党)の時代。で、選挙後の党派別議員数が左下写真です(クリックで拡大)。当時、その他の政党と言えば、新自由クラブや社民連程度でした。その他大勢の党が乱立する今の状況は、「小異を捨てて大同に就く」ことが出来ない人間が多いから生じているわけで、調整・摺合せ等の「政治力」が弱い議員が増えている気がします(TVなどでコメンテーターやってる場合じゃないと思うんですが^^;;)

総選挙で日本維新の会が躍進した場合、「第三極」として政局を左右するキャスティング・ボートを握るかもしれません(石原慎太郎代表は「第二極」にならないと駄目だと言っています)。3週間後には、結果が判明しているわけですが、果たしてどうなっていますやら…。

12月16日には、ドサクサまぎれのように?東京都知事選が行われます。今のところ、順当に行けば、猪瀬現副知事でしょう。有力な対抗馬が出て来ない場合、都知事選はかすんでしまうなぁ(^^;; by dan

コイの街、大阪/八木ビルの鯉


「♪宵闇(よいやみ)の大阪は ♪二人づれ恋の街」という歌が昔ありました。上沼恵美子が海原千里・万里という漫才コンビを組んでいた頃の曲、「大阪ラプソディ」です(ご存じない方はこちら)。そう、大阪はコイの街だったのです。

…ということで、今回は、大阪のビル街で見つけたコイをご紹介します(無茶な前ふりでした^^;;)。堺筋本町の近く、八木ビルの北側に噴水があります。前から知ってはいましたが、その噴水の池の中がどうなっているか、考えたこともありませんでした。

ところが、先日、ふと中をみると、鯉がたくさん泳いでいるではありませんか!池が道路より上にあるので、ホント、目の前を鯉が泳いでいる感じで、迫力満点。大きい鯉もいます(下写真、それぞれクリックで拡大)。これからどんどん寒くなってきます。人間に飼われているとはいえ、冷たい水の中で生きている鯉って、やっぱりたくましいですよね。あらためて感心しました(^^) by dan

  

かわいい植木鉢


先日、近鉄奈良駅に近い花屋さんで見つけたのが、右の鉢(写真クリックで拡大)。顔が描かれていて手足もちゃんとあり、人間みたいで可愛いですね。赤いリンゴ?の飾りも効いています。

よく見ると『多肉植物 480円』という値札がついていますが、商品そのもの(多肉植物)というより、鉢や飾りといった「付加価値」で売り物として成立している感じです。鉢を小物入れに使いたいという人もいるでしょう。自転車で移動中でなければ、私も「鉢だけ売って頂けませんか?」と言っていたかも…(^^) by dan

「松陰先生のことば」/吉田松陰の話 その2


その1より続く) さて、萩に明倫小学校という学校があります。藩校・明倫館跡に建てられ、名実ともに明倫館の伝統を受け継いでいます。ですから、出身者として、吉田松陰、高杉晋作らの名前を挙げてもよいでしょう。こうした歴史を踏まえて1981年に始められたのが、「松陰先生のことば」 朗唱です。冊子としてまとめられていて、一般の人も購入可能です(写真中央。私は、萩市で買い求めました)

  

生徒は、1年生の1学期から吉田松陰の言葉を毎朝朗唱します(学期毎に言葉は変わります)。入学した最初に朗唱する言葉が「今日よりぞ/幼心を打ち捨てて/人と成りにし/道を踏めかし」。そして、2学期、3学期の言葉が上の二つ。

2学期に朗唱する言葉(写真左、クリックで拡大)などは坂本竜馬を思わせます。ちなみに「賤」とは難しい漢字ですが、一人称の代名詞(私という意)。そして、3学期の言葉(写真右)は、松陰が刑死の前に家族へ送った辞世の句。私の母親は、この句を見るたびに涙が出るなどと申しております(^^;;。しつこいですが、これらを小学1年生で朗唱するのです。明倫小生、畏るべし!(その3へ続く) by dan

NHKわかやまカレンダー写真展


今、NHK大阪放送会館のアトリウムで「NHKわかやまカレンダー写真展 ~和歌山のミリョク再発見!~」が行われています(11/13~11/18まで)。会場でアンケートに答えるとカレンダーをもらえます(右写真、クリックで拡大)

プレゼントに弱い?danはアンケートに答えて、カレンダーをゲット。たくさんの応募写真の中から選ばれた優秀作品が使われているだけに、和歌山の魅力が伝わる、素晴らしいカレンダーになっています(下記3点、それぞれクリックで拡大)。例えば、9月の写真に選ばれた「初収穫」(あらぎ島にて)という作品は、有田川流域の棚田なのですが、まるで外国の田園風景のようです(写真中央)。和歌山にこんな素敵な棚田があったとは!

  

イベントの詳細はこちら(今日までです。ご紹介が遅れてすみません)。行けなかった方も、こちらのリンクを辿ってPC用の壁紙カレンダーをダウンロードしたり、入賞作品を見ることができます。御確認下さい(^_-) by dan

 関西圏の他府県で同様のカレンダーが無いか調べたのですが、NHK和歌山だけのようです(残念!)。いい企画なので、他でもやってほしいですね。

キムタクな歯医者?/大阪人の流儀 その1


北村あるいは喜多村という名前の歯医者さんがいたとします。普通、看板は「きたむら歯科医院」とでもなるでしょう。ところが、大東市で見かけたこの看板は、ご丁寧にカタカナのフルネームで「キタムラタクヤ歯科医院」(右写真)。画数もそれほど良いわけでもなさそう。

…となると、キムタク(木村拓哉)と一字違いということを強力アピールする看板としか思えません(^^;;。「きたむら~」では普通すぎて記憶に残らないので、院長が知恵を絞ったのでしょうか?「キタムラタクヤ」って長ったらしいです。しかし、あれ?と思って、見返しますよね(私がそうでした)。さすがは大阪、お医者さんにも「使えるもんやったら何でも使うたるでぇ」という大阪商人のDNAを感じます。This is Osakan Style!! (^^) by dan

PS1 評判のよい、しっかりした歯医者さんのようです(→こちら
PS2 若いと思っていたキムタクも40歳なんですねぇ^^;;(1972年11月13日生まれ)

「松陰先生のことば」/吉田松陰の話 その1


母親の郷里が山口県萩市なので(2011/5/22参照)、子供の頃、毎年(春・夏の2回)、親と一緒に帰省していました。今振り返ると、当時の萩は「すっぴん」状態。観光地としてのアピールが弱く、史跡も日常風景の中に埋もれていて、誰かが教えてくれて初めてわかる、そんな感じの街でした(逆に上手いなぁと感心するのが津和野です。メイク美人?←すみません^^;;)

余談ですが、私が高杉晋作の名前を覚えたのは、母の実家から海水浴に行く途中に彼の生家があったからです(右写真)。学校で歴史を学ぶ前のことでした。

吉田松陰の松下村塾も「小さな寺子屋を見た」という程度の印象しか残っていません(左写真)。正直言って、歴史を知らない子供が見ても面白い建物ではないでしょう^^;;。明治維新における奇跡というべき、その凄さを多少なりとも理解できたのは、もっと後のことです(続く) by dan

1974年にタイムトラベル/再び、地図の話 その2


その1より続く) そのサイトは、国土交通省>国土政策局の運営するGIS。提供サービスのひとつ、「国土情報ウェブマッピングシステム」で、1974年~1990年のカラー空中写真を閲覧できます(詳しい説明はこちら)。この情報とGoogle Mapで大阪駅前(南側)の変遷を追ってみたのが下の3枚の画像です(左から順に、1974年、1979年、2012年。それぞれクリックで拡大)

  

大阪駅前ビルは、第1ビルが1970年、第2が1976年、第3が1979年、第4が1981年に竣工しており、1970年代は再開発の真っ只中。左2枚の画像で、その動きがリアルに捉えられています(大阪駅前第一ビル歴史巡り<vol.1~4>も参照下さい)。1979年当時、ヒルトンも大阪ターミナルビル(アクティ大阪)もなかったことが分かります。

ものは試し、自分が生まれ育った地域の画像をご覧下さい。1974年=約40年前にタイムトラベルした気分が味わえますよ(^_-) by dan

国土情報ウェブマッピングシステム>カラー空中写真閲覧へ
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