水木しげるさんが亡くなりましたね(→
こちら参照)。昭和のマンガ界を牽引した一人で、妖怪の描き手として唯一無二の存在でした。晩年には、奥様のエッセイをもとに「ゲゲゲの女房」がNHKの連続テレビ小説としてドラマ化(2010年3月~9月)。米寿を過ぎて、再び「時の人」に…(^^)。”終わりよければすべて良し”という見本のような人生でした。
さて、以前、旧あすかDiary で水木しげるさんのことを書いたことがあります。追悼の意を表して、その時の記事<再構成版>を掲載します。7年以上前の投稿ですので、数値等は適宜読み替え下さい(初出 2008/03/08)
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先日、ネットで右の画像を見つけました(クリックで拡大)。「ゲゲゲの鬼太郎」を知っている日本人が見ると、ハイテク版の目玉オヤジ&一反もめんです(笑)。目玉オヤジは Web カメラ、一反もめんは Sony 製の PDA でしょう。実は、今日(3月8日)は「鬼太郎」の生みの親、水木しげるさ んの誕生日。今年で86歳になられます(1922年生まれ) 手塚治虫さん、石ノ森章太郎さん、藤子・F・不二雄さん等、日本の漫画界を引っ張って来られ た方が次々に亡くなられている中、「現存する最後の大物漫画家」の一人とも言われています。
そう言えば、大阪天満宮の古本市で、水木しげるさんの原画が80,000円程で売られていたことがあります。そのPOPに「値上がり必至!生きているうちに買うときなはれ!」なんて書かれていました。
dan は「鬼太郎」(1975年のサンコミックス版全巻。下左写真)他を持っている水木ファンですが、今回、ペンネーム「水木」の由来を初めて知りました。”復員後に神戸でアパート経営を始めた際、アパートの名称が兵庫区水木通りにあった「水木荘」であり、そのことから彼を「水木さん」と呼ぶ知人がいたことに由来する”のだとか(→Wiki)。ついでに、水木しげるさんは、鬼太郎列車(下右写真)の走っている境町が出身地ではないこともわかりました(なんと?大阪市生まれ^^;;)
以下、略(→オリジナル記事はこちら)
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水木しげるさん描く妖怪やお化けによって、子供たち(ひいては日本人)が受けた「センス・オブ・ワンダー」の影響力は計り知れません。あらためて感謝! by dan